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仰木マジックと僕のプロ野球観戦記

仰木マジックと僕のプロ野球観戦記

監督就任会見記念!仰木マジック傾向と対策

今日の正式就任会見を受けて仰木マジックの傾向と対策を書き連ねることにしました。

近鉄バファローズ時代(1988-1992)とオリックスブルーウェーブ(1994-2001)時代は戦い方が違ってます。
3つの要因があります。
1.予告先発
2.戦力の差(絶対的エースと主軸の存在の差)
3.ファンサービス

1.予告先発
予告先発は1994年から全試合予告先発制度となりました。
近鉄時代も確か1989年から日曜日だけ予告先発があった気がします。
野茂1年目は仰木さんが観客動員も踏まえて予告先発を自らしてましたが。
(笑)阿波野対西崎初対決の時も事実上予告先発だったですかね。

それを生かしてBW時代は100通り以上オーダーを組み替えました。
その癖がたたったか1995年の日本シリーズは野村ヤクルトのブロス仮病説
にまんまと引っかかり、第1戦先発投手を読み違えてしまいました。

今はバレンタインぐらいでしょうか。相手に応じてオーダーを組みかえるのは。
相性によってオーダーを組みかえるので、控え選手もモチベーションが
高まります。一方スタメンの座を奪われる人はやる気をなくすため、短期間
しか持続しないという方も居られます。

2.戦力の差
ご存知の通り近鉄時代はエース阿波野、野茂がいました。(ほぼ完投を期待)
四番にはブライアント、石井がいました。
また、他の先発も固定、野手も固まっていて、捕手、遊撃、外野の一角を投
手との相性で組み替える位で5番レフト阿波野とか9番ショート山崎みたいな
感じで偵察メンバーを入れてレフトは淡口、村上、中谷、中根と使い分け。
ショートは真喜志、米崎、安達と使い分けする感じです。
あとで1989にも書きますが、大石が怪我の時に一番羽田とか中谷とか淡口を
組んだくらいでマジック振りは代打起用や投手交代で発揮されたものです。

一方BW時代ですが。
完投を期待できるのは全盛期の野田だけ。
必然的に継投策が増える。
打線はイチローはいたけど長打力があって、チャンスに強いこの2つの条件を
満たす人が居ない。
長打力は藤井、高橋智、ニール、キャブレラ、アリアスと潜在能力を持つ
人は多かったですが、いいときのニールを除くと特定の投手以外では
チャンスで打てない事が多い。
そこで、相手投手を見ながらオーダーを作り変える事になったと思います。

3.ファンサービス
近鉄時代は野球本題でのファンサービスでしょうか。
88年・・・野球を盛り上げた事自体がファンサービス
89年・・・「西武包囲網」「オリックス包囲網」
85年-88年までのライオンズ4連覇を受けて、開幕前に「ライオンズ
包囲網」を提唱し、当時のファイターズ近藤監督(投手分業を説き、コーチ
として74年、監督として82年ドラゴンズを優勝に導く)の賛同を得る。
しかし、開幕からオリックスが独走したため途中から「オリックス包囲網」
を提唱。
90年・・・「野茂先発登板試合全試合予告先発」
が目立った所でしょうか。
92年に入団1年目のノリを数試合1軍で使ったのもファンサービスでしょうか。

ブルーウェーブになってからは
93年監督就任のオフに阪神岡田獲得
94年開幕前にパンチ、イチロー命名
94年シーズン中 岡田は常時一軍。パンチも中盤まで一軍。
  大敗が決まりかけるとパンチ、岡田が代打に。
  そのオフパンチは引退
95年キャッチフレーズ「がんばろう神戸」スタート

確か「オープン戦でその年の新入団選手でスタメンを組む。」とか
「ファンの投票でスタメンを選ぶ」もあったと思います。
就任当初には見出しになるのならコーチと喧嘩しようかというのもあったと
思います。(本当に喧嘩しましたが。。。)
他にもYAWARAちゃんと谷のキャンプでのキャッチボールもありました。  

パリーグの広報部長を自認していただけに、マスコミに対する話題提供は
多かったかと。


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